『古伊万里染付図譜 番外編』 掲載にあたって「呉須や」 店主 村山知寿子『古伊万里染付図譜』 とは・・・『古伊万里染付図譜』 は、2000年6月に刊行されて以来、本ページでも、むげん出版社からの委託にて販売させていただいておりますが、 豊富な写真と手頃な価格の図録として好評を博しています。 豊富な資料を、体系的にまとめた著者への賞賛の声と伴に、「価格面から仕方ないとはおもうが、カラー写真で見たかった」 「更に詳しい解説が欲しい」 といった御感想を、多数お寄せいただいております。 著者の倉石氏からも、編集の制約上、書ききれなかった事項が多々あるとのお話を伺っておりましたことから、 それらを 『番外編』 としてまとめていただき、『呉須や』 のHPに掲載させていただくこととなりました。 本編に準じた構成倉石氏は、客観的資料に基づいて、体系的に発表する姿勢を貫いておられまして、 この 『番外編』 につきましても、本編に準じた形式で記述されています。『番外編』 だけお読みいただきましても楽しんでいただけますが、本編をお読みいただくことで、 一八世紀の古伊万里染付皿の全体像について、体系的に把握していただくことが可能になります。 本編もあわせて参考にされることをお勧めいたします。 本編をお買い求めになりたい方は、下記ページをご覧いただき出版社へご注文ください。 「古伊万里染付図譜 一八世紀の器皿を中心に」著者:倉石 梓 ¥2,000+税 御意見、御感想をお寄せください『番外編』 は、読者の皆様からの反響を参考にさせていただきまして、(可能な限りではありますが)内容を充実させていきたいと考えております。 御意見、御感想を こちらまで murayama@goss-ya.comお寄せいただきますと大変有り難く存じます。生活骨董「呉須や」のページに戻る 『古伊万里染付図譜 番外編』倉石 梓まえがき『古伊万里染付図譜』は、一八世紀の雑器の全体像を知る試みとして三つの様式(古伊万里様式、新様式、白抜様式)を設け、 各々の様式の ”製品の拡がり” と ”その厚み” を示しましたが、”焼き物としての側面” はみていません。 また、試みの意を尽くせなかった点もいくつかあります。今回、知人の勧めもあって、それらを 『番外編』 として、本編に準じてまとめました。 本編と併せて参考にしていただければ、幸いです。 目次1.意匠古伊万里様式 Aグループの茄子文深皿 Bグループの埋詰 Cグループの割絵と窓絵 Dグループの優品と一九世紀の変形皿 Eグループの唐人文皿 新様式 陽刻型打 清朝風意匠 白抜様式 墨弾き 藍塗埋 2.裏面 古伊万里様式の裏文様 梅蔓草文 唐草文 帯状文 新様式(清朝風意匠)の宝崩文 白抜様式の格座間文 3.その他 成形 下絵付 施釉 1.意匠古伊万里様式本編では、古伊万里様式の製品を、器面の構図を拠りどころに5つのグループに分けています。 以下に、各グループの意匠について、本編に追記&補足いたします。Aグループの茄子文深皿Aグループの意匠は、総じて安定感がある反面、概して変化に乏しく一律で定型的です。 しかし、なかには目立たないものの、構図と文様の取り合わせで珍しい製品もあります。 <図1> の深皿をその内の一つとしてご紹介します。 器面は半花菱文(見込周囲文)により、見込みと側面に区分されていますが、区画の各々に規格化された文様や小さな窓絵などを 書き込む基本的なタイプとは異なり、区分の構図にこだわらず、全面に茄子文を描出しています。 これに類似の二重圏線と草花、海老などを組み合わせた意匠は比較的多くありますが、 このような、“見込周囲文と一枚絵を取り合わせたタイプ“ は稀にしか見かけません。 なお、この深皿は色釉下の染付とも呼ばれる製品で、釉薬には装飾的な淡い青磁釉が用いられています。Bグループの埋詰器皿の内面、外面もしくは全体に小さな文様を描く埋詰は、1630年代の初期伊万里からあり、 藍九谷の製品にも見られます。 しかし、器面の余白を生かす藍柿の作品には稀です。 一八世紀の器皿では、本編にも見られるとおり、内面、外面を同じ文様で一様に埋めつくすタイプ <図2> を基本に、二重圏線を伴うもの <図3>、 主文を加えたもの <図4>、 更には、異なる各文様を細かく蜜に描いたもの <図5> など多様です。Cグループの割絵と窓絵器面を画するCグループの構図には、時に文様以上にアクセントがあります。とりわけ、それは菱割、扇面、団扇など、定型的でありながらも、 それらの組み合わせが多様な割絵と窓絵の製品に顕著です。 一般に器面を上下左右、または特定の形に切る割絵は皿類に多く、器面の一部を窓のように区切り、 中に周囲と異なる文様を描く窓絵は、皿以外の製品にも見られます。 しかし、これらの構図をもつ一八世紀の器皿は、一七世紀後半のそれらに比べて少なく、三様式全体でみても、 例えば白抜様式に属するそれらを数えても多くはありません。 一八世紀の割絵は、雲割、菱割 <図6>、 窓絵は団扇、扇面 <図7> などで、一七世紀後半にみられる雲割、木瓜、州浜、色絵などはあまりみかけません。 また、一九世紀には、割絵と窓絵を組み合わせ、その各々に異質な模様を描いた器皿 <図8> がみられます。Dグループの優品と一九世紀の変形皿絵画的な意匠のDグループの製品は、Aグループに次いで多く見られます。意匠は、本編図譜の通り、根菜、牛、兎、書籍など日常に親しい植物、動物、器物などですが、これを藍九谷、藍柿といった流れの中で見ると、一八世紀の製品には藍柿の系統に属する <図9>、 <図10>、 <図11>、 <図12>のような優品が少なからずあります。 一方、一九世紀では、器形に工夫をこらした具象的な意匠の変形皿が目立ちます。 <図13> は地図を描いた扇形の皿、 <図14> は冑を描いた変形皿、 <図15> は正月の鏡餅を描いた変形皿で、何れも一八世紀の製品には無い面白さがあります。Eグループの唐人文皿芙蓉手と呼ばれるこの意匠の製品は、一六世紀末の中国、明時代にあり、主としてヨーロッパに輸出、日本にも招来されていたものです。 この意匠は、その後、有田で写され、一七世紀後半に東印度会社の手で海外に輸出、一八世紀には国内に向けても焼成されました。 <図16> は里帰りの製品で、牛追いの図も呼ばれていますが、同類の大皿がハプスブルグ家の女帝、マリア・テレジアのコレクションにあり、 去る1998年の「マリア・テレジア古伊万里コレクション展」で公開されています。その折のこの皿に付された説明は、次のようなものです。「染付芙蓉手唐人文皿」(1680〜1710年、径:36.5cm)余談ですが、マリア・テレジアの末娘は、フランス王ルイ一六世の妃として知られる、マリー・アントワネットです。 新様式陽刻型打一七世紀中葉から後半の陽刻型の製品は本編でもふれたとおり、その大半が樋口窯の焼成と云われています。 その根拠は樋口窯の物原から出土の陶片と同じ意匠をもつ製品、更には、樋口窯に固有と考えられている底裏銘をもつ製品が 数多くあることに拠ります。筆者の収集品の中にも、九州陶磁文化館所蔵の同窯出土片と同じ文様をもつ器皿 <図17>、 <図18> がいくつかあります。これらの製品は、磁胎が比較的薄く、白く、そして陽刻の文様がシャープです。しかし、これとは別に <図19> のような磁胎が厚く、灰色で型打の文様がラフなタイプの製品もかなりあります。一般に、肥前磁器は、時代が下がるにつれ、意匠などが くずれていく傾向にありますが、右記のタイプはその類とは考えられません。理由は、@陽刻型打の焼成基幹が一八世紀末までの 短期間であること、Aラフなタイプの器皿には一八世紀末までの使用とされている山福、渦福の底裏銘のある器皿が多いこと、 Bシャープとラフな製品に共通の陽刻文が見当たらないこと、などです。これらラフな製品のグループは、樋口窯の焼成より遅れるものの、 ほぼ同時代の他の窯の製品ではないかと推察しています。 なお、染付の文様あるいは詩句などのない陽刻文+白磁釉の器皿は一七世紀に比べて少なく、蛇の目凹型高台と称する窯詰の技法の跡を 残す製品もあまりみかけません。 清朝風意匠本編に記録の清朝風意匠の多くは、中国古来の文様あるいは故事に由来の人物、山水を写しています。なかでも、中国の代表的な文様で 天子の象徴としての龍文は、有徳の天子の出現の時に現れると云われている、瑞祥を代表する鳳凰とともに、多様に数多く描かれています。 また、唐宋の頃に始まったとされる子孫繁栄、家運隆盛を表す唐子もよくみかけます。一方、中国の故事に由来の山水文では、 蘇式が赤壁賦を詠じた図にその詩の一部を添えた意匠 <図20> や王義元の「蘭亭叙」を題材に、折江省、蘭渚の山水と蘭亭を描いた意匠 <図21> が器種を問わず描出されています。但し、「蘭亭叙」の一節を書き加えた製品は稀です。この他に吉祥とされている暗八仙の団扇、横笛、仏教に由来する八宝の宝瓶、法螺貝、雑宝と称している繍宝、火焔宝珠、更に、日本の 宝尽くしの中で数えられている宝巻、隠笠、隠蓑などが、個々にあるいは組み合わせて側面に描かれています。 白抜様式白抜様式は他の二様式が器皿に描かれた意匠の構図と文様を基にまとめているのに対し、文様を白く描出する 下絵付の技法を基にしています。墨弾き墨弾きによる白抜の文様は、既に一七世紀中葉の藍九谷の製品からあり、後半の藍柿にもみられます。 描法には、文様そのものを白く描く場合(白抜線)と文様の輪郭線を白く縁取る場合(輪郭線)があり、 各々は単独に、あるいは併せて、適宜に使い分けられています。一八世紀の墨弾きは、一七七〇年代から他の二様式に比べ多くなります。しかし、文様を全て墨弾き (白抜線と輪郭線)で描いた器皿は少なく、大半は他の下絵付との併用で、とりわけ一八世紀末から 一九世紀前半には、 <図22>、 <図23> のように、縁文様を墨弾きにより描出し、見込みや側面の 文様を通常のダミを伴う染付に拠った器皿が多くみられます。 藍塗埋呉須を塗埋めて文様を白く描出する製品も藍九谷の時代からありますが、その数は少なく、 一七世紀後半の藍柿では、この技法による製品は殆どみかけません。一八世紀の藍塗埋は、墨弾きと同じように一七七〇年代から増えます。器皿の多くは、本編にみられるとおり 塗埋とダミを伴う線描きとの併用ですが、文様全体を塗埋のみで描出の製品もかなりあり、なかには 雑器として扱うにはいささか惜しいような優品 <図24>、 <図25> もみられます。 なお、白抜の器皿は他の様式に比べ、身近な動植物を描いたものが多く、染付の色調は概して明度の高い 明るい色合いです。 2.裏面磁器の草創から一七世紀末までの器皿の裏文様は大まかに見ると初期伊万里・・・折葉文、宝文 一七世紀中葉の藍九谷・・・蔓草文、連続唐草文、折枝文 一七世紀後半の藍柿・・・梅蔓草文、梅花唐草文、如意頭唐草文 等です。 そして、一八世紀の染付磁器(皿、深皿)の裏文様は、本編で記したように 古伊万里様式の製品・・・梅蔓草文、梅花唐草文、如意頭唐草文 新様式(新朝風意匠)・・・宝崩文 白抜様式・・・格座間文、笹文 が多くみられます。 一八世紀の裏文様は、時に同類の製品の前後関係を知る手がかりにもなることから、気づいていることを整理してみました。 古伊万里様式の裏文様梅蔓草文Aグループの製品にみられる梅蔓草文は、藍九谷の製品に様々ある蔓草文が1660年代に集約、定型化し、 その後藍柿で盛行した梅蔓草文と同類です。ただ一八世紀の梅蔓草文は、 <図26> にみられるとおり一七世紀のそれに比べ、内面主文と相俟って、蔓、葉、梅花の描出タッチがやや太く全体に大ぶりです。一八世紀の蔓草文は、この他にも様々ありますが、一般に各々の類の数は少なく、グループとして捉えるには難があります。 しかし、このことから裏文様の蔓草文が同じ場合には、焼成窯の特定はともかく、同窯での焼成と考えられます。 <図27>、 <図28> はその一例で、何れも一八世紀前半の同窯の製品と思われます。 唐草文器皿の外側面を一周する定型化された梅花唐草文と如意頭唐草文は、1670年代の藍柿の製品からみられます。 一八世紀の梅花、如意頭両唐草文は、これと同類ですが、総じて藍柿に比べて連続する茎の左右と先端の唐草は簡略で、過多気味に 描かれています。また、一八世紀中葉には、これに加えて茎全体のうねりが大きく、茎先端の巻きの強い、より装飾的な唐草文が増え、 一八世紀末から一九世紀には、梅花、如意頭を描かず、茎と唐草を同一なタッチで描いた唐草文がみられます。 なお、一八世紀では、Aグループの製品をみる限り、梅花唐草文より如意頭唐草文が多いようです。これら唐草文には二つのタイプがあります。一つは唐草の茎を一筆で描出した一重唐草 <図29> 他の一つは茎に輪郭線があり、中をダミで埋めた二重唐草 <図30> です。 唐草の描き方は、一般に梅花、如意頭にかかわらず、一重より二重のタイプが丁寧です。しかし、内面主文の出来栄えは必ずしも 同じではなく、例えば、表の意匠は精緻に描かれていながら、裏文様は一重唐草でかなり粗略に描かれている製品、あるいはその逆の例もあります。 このため、この唐草文様だけでは、にわかに焼成年代について云々できない製品もあります。 帯状文裏文様は、その配列から大別すると、一箇所もしくは二から四方に配するタイプ、外側面を一周するタイプ、そして小さな文様を 等間隔に帯状に配するタイプの三つになります。ただ、一八世紀にあっては、連続して外側面を一周するタイプの如意頭唐草文が殆どで、一箇所もしくは二から四方に配するタイプ は少なく、帯状に小文を配するタイプは稀にしかみていません。 <図31> は梅花と桜桃と思われる小文様を帯状に配したAグループの製品です。 新様式(清朝風意匠)の宝崩文清朝風の素描きの意匠の器皿に多い宝崩文には、五つの宝印を縦十字に配するタイプ <図32> と斜十字に配するタイプ <図33> があります。何れも他の様式の製品にはあまりみかけません。この宝崩文は、底裏銘に昆虫文を伴うことが多く、使用は1760年代から1790年代と考えています。 白抜様式の格座間文白抜様式に多い、便宜的に格座間とした裏文様は、大別すると格座間の中に宝文を描いたものと格座間だけのものがあります。この文様の使用は、裏文様にこの格座間文を描き、内側面の陽刻に瑠璃釉をかけ、縁に墨弾きによる文様を施した <図34> を手掛かりに、@陽刻型打の製品は1750年から1790年代の焼成であること、 A当初に釉がけの製品が見当たらないこと、B墨弾きの文様は1770年から1810年にかけて多いこと等 を勘案して、 早くても1760年代と推察しています。 3.その他成形磁器の器形とその形状は、専ら成形の如何によっています。本編に掲載の器皿(皿、深皿、鉢)の形状は 大半が基本的なロクロ成形の円形とロクロと型打成形併用の輪花、稜花、八角形です。しかし、 これらを様式別に見ると、古伊万里様式と新様式では輪花が多く、円形、稜花がこれに次ぎ、 ロクロと型打成形併用の八角形は僅かです。そして、一八世紀末から増える白抜様式の製品では、 八角形が多く、次いで輪花と稜花が半ばし、ロクロ成形のみの円形はやや少ないようです。この他、一八世紀の雑器には、ロクロと型打併用でありながら、型打の特徴が著しい変形長皿 <図35>、 糸切による形象器形の魚型皿 <図36>、 更に、装飾的な成形を施した三足の鉢 <図37>、 透彫の輪繋鉢 <図38>、 七宝繋鉢 <図39> などがあります。 これらは、何れも相対的にみて数の少ない器皿です。 下絵付釉下彩と呼ばれるこの技法の代表は、呉須を顔料として白磁釉(透明釉)を施し、一三〇〇度で焼成する、 別名、釉裏青とも呼ばれる、本稿の主題の染付です。他に呉須の代わりに鉄を用いて褐色の文様を表す 錆釉、銅を用い赤い文様を表す釉裏紅があります。しかし、これらは全体からみて僅かです。染付の技法は、本編でもふれたとおり、輪郭線を描く線描きと、その線の内側を面として塗埋めるダミが 基本で、大半の製品はこれによっています。 一方、染付を主としながらも、特殊な下絵付として、呉須を噴霧して点状に絵付を施した吹墨の皿 <図40>、 <図41>、 文様を切り抜いた型紙を器面にあて、その上から呉須を刷毛で刷り込んだ 呉須型紙摺の皿 <図42>、 <図43>、 同じように文様を切り抜いた型紙を器面にあて、 その上から白土を摺り込んだ白土型紙摺の鉢 <図44>、 そして柔らかな印材に呉須をつけ、彫りこんだ文様を器面に押したコンニャク印判の製品 <図45> などがあります。なお、この印材は今日のゴム印に相当すると思われますが、コンニャクか否かは不明です。 施釉磁器は、成形の後、素焼、下絵付の工程を経て、窯詰の前に釉薬をかけて施釉します。釉薬は 磁器の表面を覆う薄いガラス質のことで、焼物の素地に水などの液体の浸透を防ぐほか、 装飾的な目的でも使われる材料です。透明の白磁釉が基本で、これに呉須や鉄などを加えて 作られた瑠璃釉、青磁釉、錆釉などがあります。これらの釉薬は、染付との組み合わせ、 あるいは陽刻文等との併用により、雑器の装飾にも用いられています。<図46> は、型打で施された大根文を引き立てている陽刻文+青磁釉の中皿、 <図47>、 <図48> は色釉下の染付と呼ばれている青磁釉下の染付中皿と 薄瑠璃釉下の染付八角小皿です。そして、 <図49>、 <図50> は染付と色釉を組み合わせた青磁釉+染付中皿、錆釉+染付の角皿です。また、 この類では、色釉の一部を窓抜にしてその中に染付で文様を描き、白磁釉を施した製品も多くみられます。 この他、装飾的な施釉として複数の釉薬を塗り分けた、掛分と称されている製品もありますが、 総じてその数は少ないように思います。 |